番外編 極右思想
笹川良一は株式取引の才能に秀で、相場で得た利益を元手に飛行機や飛行場を軍に献納し軍人との交友を作った。
株式取引の才能を活かし様々な活動を繰り広げた後に、右翼団体 国粋大衆党を結党し総裁に就任した。
腹心には反社会的勢力と交友の深い児玉誉士夫がいた。児玉は右翼団体を渡り歩き、反社会的勢力とも関わりが深い稲川聖城は児玉を兄貴分として慕っていた。
児玉は笹川良一の腹心であった。笹川良一を介して山本五十六とも関わりを持ち海軍航空隊の物資調達で財産をなす。
児玉は海軍航空隊の物資調達で財産をなしたために終戦後には東京裁判の被告として巣鴨拘置所に入れた。
終戦後には現在の民主党の前身である鳩山一郎の日本民主党の結党資金を提供した。
自由党と民主党が合流し自由民主党が結党しても政界とは関わりが深く、岸信介が首相に就任するさいにはフィクサーとしての力を行使し岸信介の首相就任に一役かった。
日韓国交正常化のさいにもフィクサーとしての力を発揮、国交が正常化し韓国に訪問し元満州国軍将校のちに韓国大統領に朴正煕とは満州国から関わりがあり岸信介などと日韓協力委員会を設立、韓国利権にありついた。
笹川良一は、1954年(昭和29年)韓国で発足したアジア人民反共同盟のちに世界反共同盟では中華民国の蒋介石や児玉誉士夫らと共に設立に参加。
日中国交正常化あとは、中華人民共和国では、中国国民党と対立する中国共産党の鄧小平とも関わりが深く、株式投資の才能で秀でた笹川良一は中華人民共和国で先富論(トリクルダウン理論)を実践した鄧小平とは反共で意気投合した。
右翼政党 国粋大衆党の総裁と腹心の児玉誉士夫は韓国や中華人民共和国との関わりが深かった。
日韓協力委員会で韓国利権を岸信介らと共有した。
極右思想の実態。